鬱とブラック企業と私

人生100年とも言われる中で折り返し地点に到達。ギリギリの精神状態で鬱と戦いながら職場で奮闘する自分を今後振り返ることが出きるように自分の気持ちを綴っていこうと思います。

30代はサラ金との闘い

毎日、自宅から持っていく水がお昼ご飯でした。

お金の管理もお互い別々にして、私が毎月引き落としされる支払いを担当し、嫁が雑費と食費を担当。

朝起きるのが弱いうつ病の嫁にお弁当を作るのは無理。零細企業の管理職ではお昼を買うことも出来ず、サラ金返済の8年間は飲み会もすべて断りお昼は水で過ごしました。

あの生活は今考えても地獄でした。離婚は何度も考えましたが、結局娘は離婚を望まなかったので娘の為にもう一度家庭をやり直す気持ちで頑張ってました。

気が付けばサラ金7社の多重債務者に

育児のストレスで嫁はうつ病になりました。

娘が2歳くらいの時、

結婚して家計は私がやる!頑張る!と嬉しそうに言ってた嫁。

貯蓄の100万の通帳と印鑑を渡し家計を任せました。ある日お小遣い5万だったのが3万、最終的に1万に減らされました。家計が大変だからと言われ受け入れましたが、毎日イライラしてる嫁に育児が大変なんだなと忙しさにかまけて嫁をほったらかしにしてしまった自分がすべて悪かったと思います。

もともと金銭感覚がない嫁。育児のストレスを買い物で発散してました。

気が付けばサラ金7社から合計400万の多重債務者になってました。

車や家のローンを抱えた手取り25万の私には天文学的金額です。家族で自殺する事も考えました。毎日ケンカで離婚する話ばかりしてました。

今でも泣きながらケンカしないで!と泣きながら言う娘の姿が脳裏に焼き付いています。

嫁がうつ病に、、

娘が生まれて半年経ったある夜。帰宅していつもなら部屋に灯りが付いてるはずが付いていない。

部屋の灯りを付けるとリビングで娘を抱いて座り込む嫁。


『もう死にたい』


衝撃的でした。仕事も忙しく育児は嫁に押し付け、毎日愚痴を聞かされる日々にうんざりしていた時の出来事でした。


嫁は育児のストレスでうつ病になってました。そこからは長い長い、家事、育児と仕事の両立の始まりでした。