鬱とブラック企業と私

人生100年とも言われる中で折り返し地点に到達。ギリギリの精神状態で鬱と戦いながら職場で奮闘する自分を今後振り返ることが出きるように自分の気持ちを綴っていこうと思います。

マイホームと娘誕生

結婚と同時に家を建てました。知識が無いので地元の建築屋の言われるがままの家を建てました。25坪の二階建て。25年ローン。家は一生の買い物ですね。出来た時は自分の城が出来て嬉しかったです。まさか手抜き工事の欠陥住宅とは思いも知りませんでした。


33歳で娘が誕生。嬉しかったですねー。嫁と娘。2人を守る為に頑張って働かねば!

繁忙期は過酷です

スーパーの繁忙期は過酷です。お盆と年末年始。世の中の人が一番遊んでいる時が一番忙しい。私は地方の田舎の為、帰省してくる方の多い地域の職場。繁忙期は朝4時~夜10時まで永遠と惣菜を作る。酷いと休憩は15分程度。もちろん、残業代は月20時間まで。

20代なのに帰ると階段が登れず這いずって上がった記憶があります。

あの時よく言われてたのが、30前半までしか体力がもたない会社。親の死に目に合えない。結婚しても生活できる賃金ではないので結婚前にやめろ。結婚式は平日にやれ。10連勤は当たり前。


29歳で結婚しましたが、土日にやるのは迷惑だから平日に結婚式やるように上司にいわれましたね。パワハラ、セクハラが当たり前の時代でしたし、洗脳もされていたのでブラックな環境も受け入れてました。

仕事のミスマッチ

朝の7時~夜7時までの12時間拘束。休憩1時間。残業は月に20時間までしか付きません。

毎月40時間サービス残業してました。20代で体力もあり無知の為、世の中こんなものだと思うようになってましたが、過酷な仕事の為辞めたい気持ちでいっぱい。辞めてもやりたいこともなく、あんな地獄の就活をまたやるのも辛く1年間我慢して働きました。

あの当時、スーパーは正月三が日休みで営業も10時~19時まででした。まさか24時間、365日営業になろうとは思いもしませんでした。まさか28年後の自分が、6時30分~22時まで働き毎月80時間残業してるなんて想像も出来てなかったです。

130名入社した同期も1年で半数退職しました。

3年後、更に半数退職。

今では20名ほどしか生き残っていません。

入社まもない頃、同期のメンバーに言われた一言が『お前はなんだかんだ辞めずに働いてるんだろんなー』